人は曖昧だ。
完璧から欠いたものだから。

神様は寂しくて人を作ったそうです。
自分の隣人がほしくて、作ったのだそうです。
けれどその隣人は自分の骨の一部からできた伴侶に唆されて、神様が怒ることをしました。

けれど考えてみてください。
神様が怒ったのは、隣人が神様に、ほんの少し近づいたからなのです。







Bravura





「つまり神様がほしかったのは隣人ではなくて使い勝手のいい人形だってことだ。
もっとも僕は、それが作り話であったとしてもアダムには感謝しなければならない。
彼が伴侶に唆されたことで僕は人でありながら神の道を望むようになったから」

死神の興味に、宗教思想があったのは意外だった。
とはいえ、同時に納得したのも事実。
真実を知る異形にとって、現しか信じぬ人間の思想は、笑い話に他ならないだろう。

「ひとはおもしろい。
空想だけで、真実よりも多くの物語を紡ぐ」
「・・・・・・・・」

その作り話たちを語ことが、新しい真実に出会うきっかけになって。

「褒め称えたくなるな」
「・・・・・・・・・・・・心にもないことをいう」

笑うと、そんなことはないぞと死神は主張してきた。
本当に、心底。

「オレは月のおかげで、人のことを好きになれそうだ」
「・・・・・・・・・何、それ」
「こんな面白い生き物の傍で生きられるオレは、きっと幸福だ」

「・・・・・・・・・・・・」

死神に出会った人間は不幸になるのに。
人に出会った死神は幸福になるらしい。

「へんなの」
「?」

随分昔の会話だ。
だからこの死神が、覚えていなくても仕方がないこと。
そう思いながら、なんでもないよと笑ってみせた。



神様は人を捨てました。
では、そのあと
神様も空虚を埋めたのはもしかして


同じ名を持つ隣人だったのでしょうか?
だからこそ、その隣人もまた、人に惹かれるのでしょうか?

まぁなんていうか。
無神論者って訳じゃないんだけど
けっこう聖書の神様って我侭だよね、って話。
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