写し世は夢 夜の夢こそまこと 1:白闇 夜神 月が覚醒した時、その視界に広がったのは真白い天井だった。 視界を覆う白を、闇だと感じたのはどうしてだろう? 彼の自問は、同時に答えだった。 何一つ失っていなかった記憶は、この真白き闇の意味を簡単に探り当てる。 自分は事故にあって、ここは病院。 白い視界が不快なのは、いつも黒い影が視界の隅で微笑していたという事実からくる違和感。 (あぁ、そうだ) 常日頃より傍らを離れなかった黒い影。 音が立つほどつけていた筈の銀の飾りたちとともに 目の前で霧散した好奇心の固まりのような異形は、あの時。 「笑っていたんだ」 小さな呟きが消毒液の大気に溶けた。 聞きとがめる者がいないことを、月は幸いと思わなかった。 申し訳程度のノックとともに白い裾を翻して看護士がドアを開けた。 なんの音沙汰もなく覚醒した美しく、仲間内での接戦の末もぎ取った担当の患者にとっさに微笑みかけようとした彼女が彼の覚醒を伝えに主治医を呼びに行っている間も、駆けつけた主治医が間近で事故に巻き込まれ、ショックで意識を失ったために病院へ運ばれたのだという峰とその事故を起こした運転手以外に死者はいないと告げる間も、家族が駆けつけてくる間も。 月から涙を止める術をもった存在は白い闇の中に立ち入ることはなかった。 本当に、刹那のことだった。 なのにどうしてあれ程記憶が確かなのか。 何をしていたわけでもない。 ただ死神がねだるからという理由で林檎を買って、その帰り道。 耳障りな音は、道の向こうから聞こえてきた。 とっさに振り返った少年のきれいな瞳に写ったのは、新品の赤いスポーツカーでもそれを運転するというよりもそれに振り回される浅はかな人間でも、ましてやそれが自分のほうに突っ込んでくるその偶然にも似た確率の立証でもなかった。 ただ、静かに。 林檎を受け取ろうとしている死神の姿。 少年は反射のように、手にした林檎を空に差し出した。 少しでも周囲の者たちが冷静であったとすれば、いったい何をしているのかと目を剥いたことだろう。ましてや、少年の手から離れた林檎は、そのまま空の場所に留まり、そしてまるで誰かが齧っている様な歯形を残しながら消えてしまっていくのだ。逆に耳障りな音がなければ、美しい少年の手品として喝采を浴びただろうか? すべての可能性は結局何の発展にもつながらなかった。 林檎を租借していく、少年にしか見えない手品の種は、開いた両手でノートを開き、自らの罪を知らぬドライバーをその目蓋無き瞳で捕らえていた。 すべてはただ。 林檎を得た、その恩返しだとでも言わんばかりの無造作さで。 「・・・・・・・・っ」 頭のいい少年だったから、死神の行為の意味を悟るのも難しくはなかった。 でもどうしてもやめてくれといえなくて、それは裏切りのような気がして、だから代わりにこんなことを聞いた。 「リュークは僕のそばにいたくないの?」 「いたいぞ」 死神の答えは簡潔で、穏やかだった。 「だから、助けるんだ」 そして、浅はかだった。 あの車は、本当にこの言葉が確かにあるのならば、少年を轢く運命にある。 そして少年の命を確実に奪う。 それを死神は理解していて、それを阻止するために、そうなる前に運転手の運命を捻じ曲げるためにノートを広げた。 本来は己の寿命を延ばすために書くそのノートは、少年のためという理由がつくだけで持ち主である死神に牙を剥く。 月はその話を知っていた。 知っていたから、本当はとめるべきなのに、死神が自分の知らない名をノートに綴る様をとめることができなかった。 命を惜しんだのではない。 そんなことはしない。 同じノートを手にしたときから、覚悟はしていた。 月が、死神にその行為をとめなかった理由は、ひとつだけ。 この黒い死神は、月の行為を何一つ止めなかった。 ニヤニヤと笑い、そしてすべてを受け入れていた。 自分に死神がしようとしている事を止める資格はない、と 熱病のように広がった感情の中で確信していたからだ。 そして。 突っ込んできたスポーツカーの風圧に吹っ飛ばされながらも、彼の目は現し世の風に決して屈しないはずの死神がさらさらと流れていく様を見届けていた。 新連載です。4〜5話ほどの予定で。
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